手首切って生きた心地してんじゃねーよ




あなたが死んだことを知った時、わたしはファミレスで幼馴染と夜ごはんを食べていました。



正直不謹慎とわかっていながらも、ショックだとか信じられないだとかいつかこうなると思っていましたという気持ちよりも、わくわくにも似た高揚感を覚えてしまった。


人が死ぬ事でわくわくしていた。

本当に最低だけど気持ちを隠さないで言うのなら、綺麗事無しで言うのならわたしはわくわくしていた。



お葬式はやらなかった、お別れ会みたいな感じだった。棺桶に入って鼻に綿を詰められたもう二度と息を吹き返すことのないまだ若いあなたを見て、悲しいと思った。嫌いだった。余計なことばかり言うし、自信過剰なあなたが嫌いだった。でも妹みたいに可愛がってくれてた。内心は知らないけど。わたしが男の子に告白された事を話したら楽しそうにアドバイスしてた。もう二度とこの人に会えないのだという気持ちは、よくわからないけど、すごく悲しい。我慢出来なくなって泣いた。わたしだけが泣いてた。泣くと思った、って笑われた。



お別れした後に何人かでごはんを食べに行った。もう誰かが死んだのだということなんてみんな話さない、触れない。そんなこと無かったみたいにごはんを食べた。不思議な気持ちだった。人が死ぬことってこんなに影響を与えないんだと思った。


でもわたしは弔う気持ちよりも、向こう側に行けたあなたを羨ましいと思った。わたしもそっちに行きたいと思った。事故だったのかもしれない、死にたいなんて思ってなかったのかもしれない。でも苦しんでいた気持ちは嘘じゃなかったんだって死ぬことで証明できるよね。その時やっと他人は本当の闇に気づくことができるよね。死んだらもう終わりなんだけど。関係ないんだけど。


思想も消えて全て無くなって無になって自分がどこにいるのかもわからなくなるんだ。どうなるのかわからないから怖い。その場所に行ったことがないから怖い。怖いと思う理由がそれだけなのに、一線を跳び越えることができない。



死ぬことってすごいどうでもいいことだ。

他人にとっては他人の苦しみなんてすごくどうでもいいことだ。



きみはわたしが死んだとき泣いてくれるんだろうか。馬鹿だねって笑うんだろうか。どうでもいいんだろうか。面倒だと思うんだろうか。怖いんだろうか。


死んだら泣いてくれる?

泣いてくれるなら、花を手向けてくれるのなら、死ぬのも案外幸せなんじゃないだろうか。



誰かが自分のために泣いてくれるなんてそんなことなかなかないじゃない。嬉しいじゃない。泣いてくれないかなあ、泣いてくれないかな。



ずっと羨ましいと思っている。




手首切って生きた心地してるなんて馬鹿みたいなこと言うなよ。生きてると実感することなんて絶望なんだ。生きてるってことはずっと苦しいってことだ。苦しいってことが生きてるってことを嫌でも実感させるんだ。きみの落ち着いた心音を聞いてもっとばくばくすればいいとおもった。もっと苦しくなればいいと思った。わたしがそばにいることを体で実感すればいいと思った。もっと苦しくなってほしいと思った。心は嘘をつけても体は嘘をつけないよね。思いきり殴ってほしい。痛めつけてほしい。強い感情をぶつけられたい。なんにもわからなくなりたい。きみがそばにいるってこと以外は何も知りたくない。何も思い出したくない。



苦しくなって、わたしのせいで苦しくなって。わたし以外のことは考えられない時間が日々の一瞬の中にあってほしい。単調に過ぎてゆくきみの時間の中にわたしがいてほしい。ワガママだとかエゴだとかそんなことはもうどうでもいい。わたしはきみの中にいたい。わたしはきみの中にずっと残りたい。自分勝手でいい。頭おかしくていい。ずっと残りたい。他の人の入る隙間なんてないぐらいわたしを残してほしい。そこにいたい。心の中にいたい。わたしはそこで生きていきたい。だからもう何もいらない、何も無かったことにする。何も無かったことにするんだ。全部無かったことにするんだ。わたしはいなくなって、わたしは無かったことになるんだ。わたしがしてきたこと全部全部無かったことにするんだ。無かったことになればいい。苦しい。どうしようもない。わたしにはきみがいればいい。他のことはどうでもいい。どうでもよすぎて笑っちゃうぐらいきみがそばにいてくれるなら全部を捨ててもいい。わたしのものになれ。その体をいつ抱きしめてもいいって言って、きみの口から零れる悪態や優しさが全てわたしのものになればいい。